NEW HORIZON ブログ

セクシャルマイノリティー・マジョリティーの方達全て、それぞれの人生に出会いにいきます。 あなたの人生 あなたにしかない魅力 インタビューさせてください!!! NEW HORIZON2人のプライベートも交えながら交流、更新して参ります!

NEW HORIZON 第2号 -仙台一幸せなオネエ りをなさん-

こんにちは!

鈴木です~(^^)/

 

今回は私たちが自費出版している雑誌、NEW HORIZON(ニューホライゾン)の第2号でインタビューさせていただいた、「仙台一幸せなオネエ」りをなさん の記事をこちらで公開させていただこうと思います~。ありがたや!

 

では早速スタートです!

 

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自身のキャッチコピーを「仙台一幸せなオネエ」と語る、りをなさん。
素敵な笑顔と持前の明るさで、大学サークル「BLENDA」(ブレンダ)の創始者
でもあるご自身のこれまでを語って頂きました。

 

りをなさんのこれまで

私は幼少期、自分は女の子だと思ってました。初めて男だと認識したのは小学生の時です。男女別の出席番号、点呼確認、席順、トイレ...。友達が女子ばかりだった私は男子に「女たらし」「お前は女だからあっちに並べよ」と入学直後から冷やかされ「男」であることを認識し、小学生の時から「大人になったら整形する(=性転換)」と言い張ってました。皆に好かれたくて敢えてオネエ言葉で生活したり、アイドルの歌やダンスを誰よりも早くマスターして毎日学校で披露したり、人生相談~恋愛相談に乗り皆の信頼感を得ることが出来たおかげで小学6年生の時、学級委員長、生徒会副会長を務めました。

 

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小学校卒業という一つの節目を機に、中学生になったら一人称を「俺」にしよう、それで普通の男になろうと密かに決めていました。オカマといじめられた過去を知らない人と過ごせば男に戻れる、学校の環境が変われば男らしくなれる、と思い中学受験を経て皆と別の学校に進学しました。見事合格したものの初対面の同級生、先輩方に「可愛いね」「男の子っていうより女の子みたい」と言われ、ショックを受けました。俺と言おうとするといつも声が震えて発言できず、一人称を使わないで話すようにした結果内気な性格になりました。ゲイという言葉を知ったのも中学時代です。どうしたら男らしくなれるか研究すべく、図書館で性教育関連の本を読みあさりました。その時LGBTに関する資料を見つけ、自分が当事者かもしれないと思い始め、石川大我氏著書『ボクの彼氏はどこにいる?』を読み自分がゲイであることを認識しました。髭が濃くなり、顔つきもどんどん男らしくなり、自分の中の女の部分を封印したのもこの頃です。高校時代はギャル男に憧れ、毎日髪を盛る練習とパラパラに明け暮れていました。男らしくなりたいけど女の子感が抜けなくて、傍からみたらすごく奇妙な男子高校生だったと思います。また、喧嘩や汚らしい言葉づかい=男らしさと勘違いし周囲に沢山迷惑もかけました。

 

大学サークル「BLENDA」(ブレンダ)について

サークル名「BLENDA」の由来

♀×♀の人(L) ♂×♂の人(G) 性別関係なく、人を愛せる人(B) 心と体の性が不一致な人(T)LGBTの抱えるハンディは多種多様。もっとひろく言えば、この世に同じ人間なんて一人もいない。みんなの個性やイイトコロ、抱えているハンディをブレンドしてユニークなものを創っていこう!という願いが込められています。ブレンドをお洒落に表現したら「BLENDA」になりました。

 

EPILOGUE TO BLENDA

勉強だけってつまらない。様々な考えがあると思うけどLGBTだからこっそりとしている必要はない。BLENDAを通して同じ学友の当事者の輪を広げていけたらそれは幸せなことだと思う。同性を好きになること、自分の性別に違和感を覚えることは病気ではない。普通の人が体験できない特別な体験だと思うな。マイナスに考えずプラスに考えてみよう!大学生になって、バイセクシュアルになっても良いと思う。「両手に花」って自慢しちゃえ!同性に興味を持っても良いと思う。「好き」っていう気持ちに嘘はないよ。自分の気持ちに嘘をついていてもツライだけだよ。自分は同性愛者。性同一性障害… 。受け入れるまでにはすごく時間がかかると思う。自分にしかわからない苦悩があるよね。でも、一人で悩んでも仕方ない。人生楽しんだモン勝ち。前を向いて歩いていこう!

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「 BLENDA」当時と現在の自分を振り返って

中学生の頃、同級生に【お前の長所はサザエさんみたいに声が大きくて常に明るいところだな】と言われたことがあり、未だに多くの方々に同じことを言われます(笑)。そんなサザエさんの私を他の磯野家の家族で例えるならば、BLENDA時代の私は磯野波平、今の私は磯野フネになると思います。バイタリティに溢れエネルギッシュだった当時の私は見た目も行動もギャル!という感じで華々しさを纏っていました。加えて、頑固で説教ばかりな部分もあり、友人には【暴走娘】と呼ばれていました。小さな頃から憧れていたギャルとして生きる喜びを日々噛み締め人生を謳歌したあの頃、【日本一のLGBTサークル!BLENDA】を目標に【無いならつくれ】精神で他のサークルがやってないことを沢山プロデュースしてきました。BLENDAの活動には前例が無い=リスクを伴うことなので失敗することも多々…。恩師に叱責され涙を流したこともありました。BLENDA創設前の私は自己肯定感が低く、後輩と会話することができないくらい恥ずかしがり屋でしたがLGBTサークル創設を機に人生が180度変わりました。

 

BLENDAを卒業し社会人となった今、穏やかで幸せな日々を過ごしています。自分の生き方やプライドに自信を持ち、笑顔が穏やかになりましたBLENDA時代は女になりたい本心を曝け出せずゲイと称していたものの、今は女性として生きたい本心を大切に【MTF】、【仙台一幸せなオネエ】と称し生きています。【ないなら創れ】精神で突っ走ってきた名残なのか、こういうのがあったら良いなと思うと今でもすぐにルールなり物なり開発・作成します。また、親しい真柄の人には未だに暴走娘と呼ばれています(笑)。昔沢山怒られた分、今は慎重になり相談し吟味する量が増えました。BLENDA時代、人に頼ることが苦手で全て自分で抱え込んでいましたが、震災を機に人は一人では生きていけないことを痛恨し皆と寄り添いながら生きるようになりました。BLENDA時代憧れの人物像は笑顔が愛らしくて姉御肌な茶髪・黒肌・強面美人。今、目標とする人物像は古き良き時代の日本のお母さん!芯がしっかりとして心遣いに長けている、黒髪・和装が似合う大和撫子です。昔の自分は今を形作る大切な要素。皆さんにも昔の良き思い出を大切にしてほしいです。

 

団体創設検討者へメッセージ

あなたがこれからやり遂げようとしていることは素晴らしいことです。この先悩むことも沢山あるでしょうし、躓くこと、失敗もあると思います。私と沢木さんも苦い経験を沢山積んできました。諦めたらそこで終了、あなたの存在に助けられている人は、あなたを必要とする人は目に見えなくとも必ずいます。目標を達成した時、創るべき団体を創設した時、他の人には経験出来ない、味わえない、成し遂げられない大きな喜びを沢山味わうでしょう。私はBLENDAを立ち上げて、人生が180度変わりました。自分に不可をかけない。時には誰かに頼る。常に感謝の気持ちを忘れず、前進して下さい。青い空の透明さをひと際引き立てさせる太陽となる君に、心からのエールを送ります。

 

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「オネエ」「セクシャル用語」について

オネエという言葉が広がったから今の私が存在し、キャッチコピーが生まれました。オネエの三文字は女性として生きていきたいが男としての性自認を併せ持つ私の特性を気軽に表現出来るフレーズです。BLENDAを創設した頃オネエタレントと呼ばれる人たちがテレビをにぎわせていて、私も【オネエです!】と自らアピールし人気者になりました。今は一人の女性として皆さん接してくれますが、世間に於いてLGBT当事者の存在が認知され、日常に存在して当たり前のように認識されたのではないか、と考えています。その一方で、LGBTイベントに参加すると専門用語が飛び交い、会話についていけないことが多々あります。大学時代、とある講義の先生より、専門用語は会話を円滑に進めるための道具の一つ。その意味を分からない人もいることを今一度思い出して、噛み砕いた表現を心がけましょう。と指摘を受けたことを機に、価値観が大きく変わりました。コミュニケーションを阻めない為にも、専門用語があらずとも会話の成り立つ広い世界が広がってほしいです。各々の想い及び意見は、良き世界を築き上げる為の一助になると考えます。皆様の自身の意見を大切にして下さい。

 

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「BLENDA」以外の活動について

「観光ゲディ」とは?

観光ゲディとはLGBTサポートとは別に、復興支援の一助となることを願い活動していた、仙台PRイベントです。私がモットーに書き添えている伊達政宗の三日月兜を被ったキャラクター【まちゃむねっちゃ】は観光ゲディのアイコンです。ゲディとは私が創った造語、レディとゲイを掛け合わせています。東日本大震災当時、大学生だった私は仙台で被災しました。多くの学生は果敢に被災地に出向いてボランティアをする中、私は震災のショックから立ち直ることができず数週間声が出なくなりました。負けてしまった自分が情けない、でも何かしたい。当時は日々、BLENDAのBLOGに仙台を中心とした被災状況を書き連ねていました。同時に、私に出来る震災復興は何だろうと考えていた時、【私が住む仙台を紹介することではないか】と思いつき、以後仙台の歴史、観光名所を研究しました。そして、私がこの活動を始めたもう一つの理由は、仙台は日本一出張が多い都市だからです。

 

震災前から仙台のゲイ掲示板には多くの出張訪問が、お酒や牛タンを一緒に堪能してくれる相手を募っていました。知らない土地でひとり過ごすことはこの上なき侘しさであること、不安を抱きながら出張に来ていることを感じ、その度に【仕事ゆえ、折角仙台にきてくれたのだから良き思い出をひとつでも見つけてほしい】と思っていました。殿方との晩酌中に感じた【良き思い出をひとつでも】と震災復興に携わりたいと願っていた時にたどり着いた応え【仙台を紹介すること】がマッチングして観光ゲディが誕生しました。観光ゲディの活動は、主にSNS上での情報発信と、メールでの問い合わせ対応、仙台観光客へのおもてなしです。観光ゲディ特設サイトを開設し、私情を絡ませながら仙台のお勧め観光スポットを紹介、仙台土産をつくって手土産として渡したこともあります。就職活動が多忙だったこと、社会人一年目は仕事に専念したかったので大学卒業と同時に観光ゲディの活動も終了しました。観光ゲディの活動は大学時代の私の想い出を語るうえでは欠かせない大切な要素です。良き出会い、心の宝に感謝しております。

 

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【りをなさんより最後に一言】

今後もまた、NEW HORIZONのような雑誌にお呼ばれした際には色々なことをお伝えしたい所存です。また、自分の恋愛経験を活かして皆さんに恋愛の伊呂波を伝えたいと昔から思っていました。今回の対談インタビューを通して、沢木さんと一緒に、これからLGBTサークル創設を考えている方へ向けてセミナーを開催したい、という新たな夢も生まれました。

 

りをな様から「私達をなぜ取材してみたいと思ったのか、取材してみての感想」を
是非お聞きしたいとのことですので、ここでお伝えさせて頂きます。

 

りをな様の存在はネット上で知りました。そこで少し記事を拝見させて頂きまして単純ではありますが、面白い方だなと!一度お話ししてみたいと思いました。御連絡させて頂きますと、「ご丁寧な言葉遣いに気遣い、礼儀正しい方」という印象が大きかったです。りをな様のお知り合いの沢木様、そして彼氏様とお会いすると、皆様とにかくお優しい…(泣)そして取材にお答え頂く為に色々な準備もして下さいました。本当に感謝感謝です。取材は数時間程でしたが、まだまだ取材しきれない、ここでは載せきれない程の活動や人生を歩んできてる方々だなと感じました。
貴重な取材をさせて頂き、誠にありがとうございました。